突発小説

 稲光が落ちる。
 その凄まじさたるや尋常ではない。右に左に鋭角にいびつな形の木が地面に向かって生えてきたかのような太さ。
 天から大木が落ちてきた!と言っても誰も疑わないだろう、轟音が白濁したヘドロの沼にも波紋をたてる。指先をつけると糸を引くような粘着質の沼に、だ。
 補強用の板から足を踏み外したらその沼にまっさかさま。腐りに腐った木の橋をおそるおそる渡る黒いマントの男が一人。
 血で洗って乾いた後のような光沢を放つマントを頭から目深に被り・・・暑い、とばかりに腕をさしこみ額の汗をぬぐう。
 吐く息も乾いて砂になるんじゃないかと思えるくらいの暑さに男は辟易しながら男は、天を仰ぐ。
 巨木のごとき雷が太陽から降り注ぐ快晴の天気。
 黒い空に赤くぽっかり空いた太陽。そこから出る熱がマントを焦がし、太陽から伸びる舌・・・轟雷が遠くに近くにすぐ真上についに男に、今だとばかりに落下する。
 「・・・」
 眩い赤光に包まれ一瞬目が眩んだものの、男はどうにか補強の板から足を踏み外さずに済んだ。汚れると本当に落ちづらいのだ、この沼の水は。
 あと少し。
 照りつける太陽光線の向こう、陽炎の中まるで蜃気楼のようにその館は見えた。




 館には雨が降り注いでいた。青い雨だ。この雨も衣服につくと色が染み付いてなかなか落ちない。仕事着とはいえ、これ一着しかない貴重な一張羅。毎年服が支給されるのは1回きりだから大事に使わないといけないのに。
 さっきまでの暑さとはうってかわって、空気が皮膚をさすくらいの冷たさを放っているのはこの雨のせい。館の上空を取り囲むように覆っているのは黒い雲。暑さを凌げる。門をくぐってようやく一息つく男だったが、やはり歩みは慎重だ。
 マントで隈なく体を覆っているとはいえ、足元まで包んでしまっては歩くことはできない。ズボンに雨が跳ねないように慎重に。一張羅を守るために慎重に。
 がぁ、と鳴く門番代わりのカラスが百羽。青い雨に晒されすっかり白く凍っているが、奴等は元気に羽を動かし羽繕いをしている。門番なのに呑気なもんだ、と男はため息つく。
 鼻に飛び込むのは花の香り。
 可憐で芳しい花の香り。桃色をした花弁をもった5枚の葉を持つその植物の名前はなんだったか・・・花に興味の無い男にはとんと判らなかったが、美味そうだ、とは思った。水色の冷たい雨に身を〆られてさぞかし旨みが凝縮されているに違いない。色だって桃色・・・なんとも美味そうな色じゃありませんか。
 いけない。男は花に魅入っていて仕事を忘れていることに気がついた。
 空腹の腹を一撫でし、白い湯気のあがる敷石の上を進む。今日はこの仕事で終り、家に着けば美味くもないが不味くもない飯にありつけるのだから。
 館の軒の下にようやくもって辿り付き、マントのフードを上げる。白く凍った霜が木造の踊り場に舞い落ちる。
 黒金の扉の前に立ち、獣の顎と顎を繋ぎ合わせたノッカーを叩く。昔は尖っていた犬歯もいまやすっかり臼歯になったノッカーの乾いた音色が屋敷中に木霊した。




 「お兄様、どちらへ行くの?」
 作られた暗闇の中から声がする。
 暗闇は一種の贅沢品。それがたとえ作られた暗闇とはいえ、闇の一滴は黄金の欠片。作られた金であろうと金は金。
 男はこの暗闇が気に入っていた。
 洋服タンスの角に足をぶつけても気に入っていた。
 「あら、またタンスに足をぶつけられたの?」
 タンスの放つ苦悶の声に、さも可笑しそうに笑うヴァルフィ。
 「前を見ても後を見ても闇なのに、自分の鼻先すら見えない暗闇なのに、私はいつもお兄様の位置がわかるわ。」
 爪先すら見えぬ暗闇だ。その爪先を押さえヴァルファは唸る。
 「お前には聞こえないのか」
 小さじよりはるかに少ない量の血を指先で舐めながら、照れを隠す。
 「えぇ、聞こえるはずがないわ、外ではあんなに雷が降っているんですもの。」
 雷光は暗闇を通さず、雷音も青い雨に弾かれ幾分小さくなってはいるものの、あの激しい振動は霜に包まれた壁を通して直接窓ガラスを揺らす。
 「今日はとても多い日、矢のように雷が降る日、こんな日は大人しく・・・ねぇ一緒に夜まで眠っていましょうよ。ヒトデの形をした花の上を裸足で歩く夢の続きをみましょうよお兄様」
 「そうしたいのはやまやまだが」
 ヴァルファが立ち上がる。薄絹の擦れる音がドアへ進む音を聞き、褥に包まったままのヴァルファは奥歯の上にいる小さき妖精を噛み潰した。
 「聞こえるだろう、あの音色が。身の毛もよだつあの音が」
 「ノッカーの音ね。お兄様が30年前にしとめた老いた狼のアゴの骨と、同じくらい老いた虎のアゴの骨がぶつかる音ね。」
 「あぁ、あの忌々しい獣達が私を呼んでいる。」
 「行くのね、お兄様」
 「あぁ、私は行かねばならない」




 黒金のドアが開く。
 その隙間からヴァルファが顔を出す。
 「こんにちは、ヴァルファさん」
 「ご機嫌麗しいね、キディット君。実に麗しい。その耳についた霜は随分待たせてしまったようだね」
 「なんてことはありませんよ、こんなもん沼の水を樽一杯頭から浴びせられるのと比べると小鳥の糞みたいなもんです」
 「随分小鳥も嫌われたものだな、キディット君。」
 「まったくです、稲穂を食わないでいてくれたら糞だって飾ってやりますよ」
 「ふむ」
 「さて、ヴァルファさん、租税の徴収に伺いました」
 「やはりそうか」
 黒金のドアが閉まる。
 男は長い鼻だけ室内へ招かれる寸前にどうにか引くことができた。しんしんと降る青い雨に混じって足元から首筋まで振動を感じる。近くに落ちたようだ。雷は大分近づいてきている。北から南へ太陽は少し傾き初めている。他にも回るところがあるならば少々焦ったものだが、今日の予定はこれだけ。仕事は面倒臭いがそれこそ小鳥の糞だ。
 「すまないが」
 黒金のドアが開く。
 「鶏の血が樽一杯しかないが、それでもいいかね」
 「樽一杯ですか」
 懐から計算尺を合わせて計る。市場の動きは毎朝、それこそ穴のあくまで確認しているためすぐに公式に数字が当てはまる。
 「樽一杯に、ワインの瓶でもう少し」
 「値上がりしたものだな」
 「時勢が時勢ですから」
 領主が代替わりしたのはつい最近のことだ。以前の領主は長さ数尺の立派な、それこそ金魚でも飼えそうなほど豊かなヒゲだったがそのヒゲが風車に絡まれて息を詰まらせて死んだとのこと。病気がちの息子のために鶏の卵をすりつぶしていたらしいが。
 いい領主だったが、息子もいい領主だった。きっと値上げをしたのは後見人のバッパのせいだろうと誰もが踏んでいる。
 「薬代も高いものだな、さぞかし希少な鉱石でも煎じて飲ませているのだなキディット君」
 「えぇ、まったくですヴァルファさん。まったくです。そのうち金剛石でも足りなくなるでしょう」
 「世も末だな。金剛石があの死神に憑かれた息子に効かないのならば次は何があるのかね」
 「さぁ、私にはとんと見当も」
 「さぞかし素晴らしい宝石の在り処を知っているのだろうね、あの男は」
 「えぇ、まったくですヴァルファさん。それはそうと残りの税ですが」
 「あぁ、そうだったね・・・しかし困ったな、まだ今日は鶏を引いてはいないんだ」
 「それなんですが、ヴァルファさん。実は今日我が家の牛が腹を下しまして」
 「どうしたことだ、ネコの頭の骨でも食べさせてしまったのかね」
 「いえね、どうやら草の中に悪い虫がいたようで。ちっとも寝藁から起きようとしない。そこで相談なんですがヴァルファさん、オルトロスめを私に貸していただけませんでしょうか?」
 「うむ、少し待て」
 ヴァルファが口を尖らせ思い切り息を吐く。形の良い半月の唇から飛び出た甲高い音色が消える頃にはキディットのどこからともなく背後に黄色い毛並みの獣が傅いていた。それこそ牛と同じくらいの大きさをした双頭の犬の獣。
 「つれていくがいい、存分に使ってくれたまえ。」
 「ありがとうございます、ヴァルファさん。」
 樽には目一杯鶏の血が注がれており、香りがコルクの栓を通じて漂ってきそうで、キディットはまた腹の鳴るのを感じた。鶏の血でこさえたスープは至極美味だ。この界隈で育つ鶏の血はさらに格別でハーブと一緒に煮込むとその匂いだけで3日は飯を食わなくていいくらいに。しかしながらこれは税。飢えを耐え市場で金に替えねば。飢えを、飢えを。
 「待てキディット君」
 樽をかついで、口の端から炎を息の代わりに走らせるオルトロスに乗ったキディットをヴァルファが止める。
 「これを使いたまえ」
 ワインと同じ大きさのビンを手渡される。
 「犬取り草のツルを煎じたものだ。モグラの鼻先と一緒に牛に飲ませるがいい。たちどころに畑から油でも掘り出さんばかりに働けるようになる」
 犬取り草と聞き、キディットはズボンがマントからはみでて雨に濡れて色がつくのも忘れ、足を突っ張らせ驚いた。
 「そんな高価なものを」
 「なに、モグラの鼻ごとき畑を掘り起こせばすぐ見つかるだろう。土の中を嗅ぎ沸け、目も見えずして獲物をとらえる魔力を持った鼻先だ。犬取り草もそれだけでは大して役にたたん。私もあやかりたいものだ」
 「モグラに、ですか」
 「あぁ、できれば生まれ変わるのならば私のようなモグラになりたい・・・次の納税の日はいつだね。まとまった現金を用意しておこう」
 「そんな・・・この薬をいただけたのだからもう今年は私は伺いません。よく晴れた日にあなたの家を回る予定にしておきますよ。外も出歩けないくらい良い天気の日に」
 「それはいかん、納税は領民の義務だよ、君も自分の仕事を忘れてはいかん。君は友人だよキディット君。例え暴れるオーガの口に君の食いかけの指先が残っていようと、私はそれをつまみ出すために全力を尽くす」
 「あなたには敵わない。次はまぁ、そこそこの天気の日に会いましょう」
 「あぁ、そこそこの天気の日に会おう。茶でも用意して待っているよ」
 ありがとう、そう言ってキディットはオルトロスとともに雷鳴の過ぎ去った沼地を飛翔していった。



どんなテンションで書いたのか判りませんが、昨日の久我のミステリー(笑
変な世界から始まる変なヴァルファとヴァルフィ、二人の兄妹のお話です。なんとなくオペラ。
ちなみに今日続き書こうとしてダメでした。変な世界だけに変なテンションにならないとだめなようです。
最近小説ちっとも更新してないので、間つなぎで(vv